大阪の起業家
障がい児の就職と進学をサポートする放課後デイサービス『すたぁりっと』を全国に!
株式会社シーアイ・パートナーズ 代表取締役
家住 教志氏
放課後等デイサービス、「すたぁりっと」では、学齢期の障害児にコーチングとソーシャルスキルトレーニングを実施し、潜在的な力を引き出します。障がい者雇用の専門スキルに長けた当社では、就職までの出口をしっかりカバー。
コンサルティング事業と連動することで、就職&進学を促進させることを可能にします。子どもたちがいきいきと働き、企業も教育機関も喜んでいただけるモデルとして、全国に展開していきます。
- 大阪起業家スタートアッパービジネスプランコンテスト受賞プラン
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障害児の就職と進学をサポートする放課後デイサービス『すたぁりっと』を全国に!
サポーター賞:近畿大阪銀行特別賞、フューチャーベンチャーキャピタル賞、SKC船場経済倶楽部賞、ヒューマンファースト賞
先輩起業家賞:未来電子テクノロジー賞設立以前、企業で障がい者雇用の人事担当として、全国沢山の障がいを持った方々にお会いし、共に働いてきました。その経験と、自身が障がい児の父としての経験を活かし、放課後の時間を利用して、成長を促す訓練や、将来につながる訓練を実施し、障がい児の就職&進学を選択できるようサポートします。将来お子様が笑顔でいきいきと生活し続けていけるようご家庭でも実践いただけるプログラムも提供していきます。
- 起業家紹介
家住 教志(いえずみ たかし)さん 株式会社シーアイ・パートナーズ 代表取締役
昭和57年6月23日生まれ。
群馬県出身。大学時代、ロシアからの留学生と出会い、卒業直前の2月に結婚。翌年重度聴覚障がい(全聾)の娘を授かった。外国籍の妻と障がいの娘を守るため、2度の転職をし、障がい者雇用専門人事となる。親の立場、企業の立場から障がいを見つめなおし、全国の福祉施設や支援学校を渡り歩いてきた。そこで見たものは、決して明るい未来に繋がるものではなかった。
私がやるべきことはただ一つ、障がい児が自分の意志で未来を歩める、選択できる社会をつくることである。
- 起業のきっかけ
国際結婚し、バイリンガルになると信じていた娘が聾であったことは、皮肉であった。しかし、充実した福祉制度により、0歳から聾学校で指導していただけ、日本でよかったと当時は思っていた。
しかし、そうでは無かった。外国人の妻は慣れた海外の文献や資料を貪るように勉強し、日本の福祉の遅れにいち早く気づいたのである。
「自分も障がいについて勉強しよう」と火が付いた。障がい者雇用の人事に転身を果たし、沢山の、様々な障がいの方に出会い、3年強、全国の施設を渡り歩いた。
その間、国内外の多くの先進的有識者にも支えられ、娘は日本語で話し、一般小学校へ通えるところまで成長した。当時のままなら手話のみであったのは言うまでもない。
環境次第で、障がいがあろうとも健常者に劣らぬ力をつけられることを私は知った。それは障がい種別関係ない。単なる勉強ではなく、家庭での家族の接し方、自分の意志で行動できる訓練と環境整備、沢山の社会経験を積むことで、彼らの能力が、強みが初めて発揮される。
そこまでに至らず、環境が障がいをより障がいに導いてしまう構造が、社会的弱者を生んでしまう。
私はわが子や障がいを持った子どもたちがキラキラと輝き、活躍する姿を見なければ、安心して生涯を終えることができない。
- 起業までの道のり
平成21年 全聾の娘を授かり、初めて障がいに関わった。
平成24年 障がい者雇用人事に転身し、障がい者が社会に出るまでと、その後のことを自分の目で確かめた。課題となる社会構造が多くあることが分かり、解決できるビジネスを模索。
実態調査をしながらパートナーを探し、職員となる人材、資金、ビジネスプランを2年半かけて準備していった。
チャレンジド(障がい者という意味の造語)の「C」、イノベーションの「I」をとり、株式会社シーアイ・パートナーズを設立。※課題となる社会構造(一部のみ記載)
①仕事
・障がい者雇用枠=地域最低賃金。月給8万前後。
・一生バイト待遇。
・福祉施設での仕事では月給2万で良い方。
⇒自立からほど遠い。不可能。②高校卒業後の進路
・支援学校の卒業生の3割が就職、残りの6割は福祉施設に行くという実態。
・進学はなし(学年1人いるかいないか程度)
⇒選択肢少ない。選択できない。
- 今後の思い
障がいをもつ沢山の子どもたちに、沢山の経験を積める環境と選択の自由を作っていきます。
彼らたちは我々をはるかに凌駕する天才的な力があり、今後の日本を支える要となりえます。彼らがいきいきと笑顔で働ける社会をつくることは、日本の未来を築くことと同義だと信じています。
- 支援機関名
公益財団法人大阪市都市型産業振興センター